☆☆ Rhatiの作文 ☆☆

氏  名ラティ プルナマサリ(Ratih Purnamasari)
奨学年度(野口基金)
在籍大学スラバヤ短期大学(Universitas Negeri Surabaya)
出身中学−−−
作文提出2005年3月

 私が初めてクラスルームに入った時、雰囲気はにぎやかでした。スラバヤはとても騒がしいと感じたほどでした。最初の講義の時、私は、友人と接したり話したり(社会性、人間同士の相互作用)するのに、かたくなってしまうのを感じました。

 だから、クラスの中では、黙っている方が多くなりました。友人達は皆、私がマナドの出身だと知った時、信じませんでした。皆は、私がソロの出身だと思っていました。

 最初には、こんなこともありました。私は、選択したコンピューターの講義についていけませんでした。

私は、このように感じました。多分、1人のある大学生になることができたラッキーなできごと以外のことだから。つまり、私の家にはコンピューターがなかったので、学校でしか練習できませんでした。

 コンピューターの初めての講義が始まった時、私は少し戸惑いました。 なぜなら、私は基本的なことでさえ、全く分かっていなかったからです。だから、与えられる全てのコンピューターの科目は、最初から始めることになりました。

 ある日、私は、コンピュータールームに行くのが嫌だなと感じました。ましてや80%はコンピュータールームに、20%はクラスに居なければならないことを思い出した時には。しかし、私は、全ての出来事に対して向かい合わないといけない、もっと大人で賢明な考え方をしないといけないと考えました。

 先生は、こんなことを言いました。「この演算プログラミングの科目に期待してはいけません。君達は"B"を取ることになるでしょう。80%や90%の学生は、"C"を必ず取ることになるし、残りは"D"か"E"です。だから、君達は、成績が良くなくても合格しなくても恥ずかしがる必要はありません。なぜなら、君達の友人達もたくさんそうなるからです。」

 演算プログラミングの授業が始まると、学生は退屈に感じます。なぜなら、この授業では、私達はいつも問題を出されます。後でエンターキーを押すと、答えがコンピューターに出てくるように三角形、円、四角形の面積や容積等を計算するプログラムを作ります。もし、プログラムがきちんとできると、数字を入れるだけで、答えが自動的に出てくるようになります。

 これだけではありません。テストの時にも、私達は次のような答えが出てくるようなプログラムを作らなければなりませんでした。

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 "万年カレンダー"を作るというのもありました。つまり、もしプログラムが成功したら、エンターキーを押した時、私達の望む限りいつまででも、曜日、日、月、年が現れるということになります。もし、3000年後、4000年後、もしくは10,000年後の日を知りたければ、全部コンピューターに答えが出てきます。

 残念ながら、この問題については、私はプログラムを失敗しました。先生もプログラムを教えてくれませんでした。

 私が心配していたこの演算プログラミングの成績は、とてもラッキーなことに"A"を取ることができました。本当に泣きたいぐらいです。私が勉強している科目「コンピューターの基本システム」では、コンピューターを使うだけではなくて、組み立て方や、部品や接続されているケーブルのそれぞれの名前も勉強します。

 そして、「情報システム」の科目では、フローチャート、DFD等について勉強しました。この間の試験では、それぞれの学生が、取引のデータを作成し(フローチャート)、フロッピーディスクに入れて、以前作成した資料とともに先生の前で発表しました。

 一方、「基礎会計」、「サービス会計実習」、「商業会計実習」のような科目は、私は少し負担が軽く感じます。なぜなら、既に私は基礎知識を持っているし、偶然ですが、これらは私が好きな科目です。

 それから、私がよく考えると、これら全部は、私が母と呼ぶ祖母のお祈りのおかげです。祖母が私を育ててくれました。私はとても祖母が好きです。祖母が私を誇りに思うように、私がすることは全部祖母のためです。私は、かなり良い成績を取ったので、祖母を幸せにできるよう、後で仕事を得るのが楽になると思います。

 本当は私の理想はスチュワーデスになり、世界中をまわることでしたが、入学するのにRp.10,000,000かかります。これは私にはありえない金額です。しかし、今、私は、銀行の頭取になるという新しい理想を持っています。